形式知化された、A社とB社との取引の記録の内実を構成しているのは、実は、「組織内―個人」と「組織内―個人」とのコミニケーションの蓄積にほかなりません。極端な話、企業活動とは、組織目的を成し遂げるための「個人」の活動の集積です。最終的に企業間での契約が成立するとしても、そこに至る活動は個人が担っています。
しかし、この「個人」の活動がまったく「組織」としての有機的な活動ではなく、完全に「個人」の活動として行われていれば、組織はその体をなしません。そのような活動で成立した取引は、たちどころにほころんでしまうでしょう。
「個人」を「組織」に帰属させる手法は、個性を重視する緩やかな帰属や金太郎飴のような強固な帰属など、その形は組織によって様々ですが、「強い」と言われている組織は、「個人」が「組織内―個人」として活動する風土を形成しているものです。実は、「業務日報」は、この「個人」が「組織内―個人」として活動する風土を醸成するための重要なツールなのです。
「組織」は、常に外界と接触(コンタクト)をしています。そして、その外界との接触(コンタクト)には、ささやかな変化、些細な出来事、微妙な違和感や小さな気づき・発見が生起しているはずです。これらを経営層に伝える「神経網」の役割を果たすものが、「業務日報」です。報告・連絡・相談といわれる慣例であっても、「レポート」や「連絡メモ」「報告書」と呼ばれるものであっても、すべてこの目的のために存在しています。「強い」組織とはこの「神経網」が、現場⇔経営層の縦糸双方向、現場⇔現場の横糸双方向に、はりめぐらされている組織だと言えるのです。
紙の日報からIT日報へと進化することで、一番のメリットはこの「神経網」の役割をさらに強化できることです。IT化することで、よく「業務日報」に、売り上げなどの数字や業務目標の達成進度をグラフ化して表現するものを見かけますが、それは、「あっても良い」が「業務日報」の本質的役割ではない、と考えるべきです。「数字」や「グラフ」はある意味で「視える情報」なのです。「視える情報」は別の手段で確認すべきであって、「業務日報」は「視えない情報の可視化」のためのツールであることを忘れてはいけません。
もうひとつ、「業務日報」のIT化でやってはならないことがあります。それは「接触(コンタクト)の中身を、文章で記述させずに、あらかじめ設定したパターンの中から選択させる」方式をとることです。いかに楽に「業務日報」を提出させるかに配慮するあまり、肝心かなめの「接触(コンタクト)の中身の記述」を、便利なITの力で補ってしまってはいけないのです。紙の日報にはたくさんの欠点がありますが、唯一「自分の言葉で記述する」ということについては、IT化するとしても守っていかなければなりません。
ITで簡単に報告できるようにしてやらなければ、社員は「業務日報」を書かない、あるいは、書くことが社員に相当の負担になる、と考えるのは間違いです。書かないのは、読まない、適切なコメントを返さないからであったり、書くことに負担に感じるのは、書きためたものが2度と使われることがない、という徒労感があるからなのです。企業の神経網としての役割という本来の目的を果たす努力を惜しまなければ、「業務日報を書くこと」の重要性は組織に定着するはずです。
(次回は、業務日報IT化の意義について書きます。)
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